子供の頃…親の実家の愛媛県西条市小松町から…突如として大型トラックで大岩小岩が運ばれて来まして…当時は愛媛県周桑郡小松町でしたが…小型のフェリー船で瀬戸内海を渡り…国道2号線で…夜通し走ってやって来たそうでした。 当時の大阪ではあまり見ない緑青色の自然石で…石鎚山の庭園石材だと聞きました。 今思えば和歌山方面にも産する緑泥片岩で…同じ断層沿いに出る似た感じの青石らしいですね♪ 多くの作業員と…庭師の先生達がやって来て…我が家は合宿所みたいになってました。 重森三玲先生を師と仰ぐ人たちで…今治から来ていました。 当時小学生だった記憶でも…ダム湖の水没地の石材取得を…県が入札で…出したモノだったようです… 以来僕は庭石屋の子供となりました♪ 有り余る石材で…見本の日本庭園を築造して…見せていました。 滝組の有る泉水池に緋鯉を泳がせ景石を配置したり洲浜を…表現したり様々な技法を…目のあたりに。 やがて…中学生頃には崩石垣の目地入れの手伝いから始まってました。 まだ…高校生にも…なっていない…植木職とか…知らない頃の話です…70年万博だったかも。